EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

タグ:写真


神は七日間で世界を作って、
七日目に休んでそれを安息日としたから
その日は何にもしちゃいけないらしい。


で、それは日曜日だと思うじゃない、普通は。ってこの場合の普通の基準がわからんけどさ、習慣として、ね。
安息日は、金曜の日没から土曜の日没までらしいよね。花金だーと浮かれてる奴とか、土曜の朝から家族サービスしてるパパとか、みんな死刑だよ。

まあ、わけがわからないよね。旧約聖書ってのは色んな宗教の源流で、読んでる人もたくさんいながら、そんな基本的なところから皆、破ってる訳だから。

俺たちは皆悪魔の末裔なのかもよ。
そしたら色んな事が納得いくよね。

旧約聖書についてもっと理解したい、とかじゃないが、この世の成り立ちだったり、人の心とか、そんな謎について、もう少しわかりたいね。ヒトの歴史は何万年?その割に俺ら、何にもわかってないもんね。





"Now you're standing there tongue tied
You'd better learn your lesson well
Hide what you have to hide
And tell what you have to tell"

いま君は立ち尽くしている、舌は強ばって
いい加減よく学んだ方がいい
隠すべきは隠せ
言うべきことを言え

"Policy of Truth" by Depeche Mode


赤ん坊であれば、不快であったりお腹が空けば泣くし、眠ければ寝る。だが大人の場合、感情とそれに反応する行動というのは、必ずしも一致しない。
大人になってもそこが一致してないといけない、ということになった場合、年がら年中泣いていないといけない大人が激増してしまう。大人には悲しいことが多い。

と言って、何故大人になると悲しいことが多いのか。感情が豊かになったから?経験が増えるから?本当は悲しくないことまで悲しんでやいないか?と、思考がどんどんどんどん脇道に逸れたがるのだが、それは置いといて。

兎に角、大人の感情と行動は一致しない。

それを認めておきながらも、僕は言葉というものに絶大の信頼を置いていて、嘘はよくない、素直が一番いい、と信じて疑わずにここまで来てしまった。齢四十八。

感情は演ずることを許しているのに、話すことには演ずることを許していないのだ。これは矛盾だ。そして、こういう矛盾が、様々な誤解を生み出すのだなあ、と気づいてしまった。齢四十八にして。


言葉は厄介だ。言葉を尽くしても、全く伝わらない、という場面を、生きていると何度も目にする。自分に限った話ではない。仕事でも何でも、我々は言葉でやりとりせざるを得ないくせに、言葉で伝わらない事は、山ほどある。


だもんで、少なくともこのブログにおいては、写真ブログなわけだし、言いたいことは言葉じゃなくて写真に込めればよいのであって。 

見る側が、写真から何を読み取っても、自由だから。そこに誤解という概念は、あってないようなものだから。

とはいえブログなんで、ごちゃごちゃ書いちゃいますけど、本当に伝えたいことは、はじめからひとつだけで、それは写真見てくれたらそれでいいです、ってことです。







写真をはじめて6年目。その間、全く写真を撮らなかった日というのは恐らく10日もない。撮りたいものは何でも、ありとあらゆるものを撮ってきた。

 


この頃は道端の花ばかり撮っている。以前の自分なら「撮る価値もない」と思っていたものだ。



「以前の自分なら」と今書いたが、果たして、今は撮る価値があると思って撮っているのかどうか。それは正直よくわからない。
ただ、撮らずにいられないでいる、というのが正しい。



恐らく自分はそんな、何の価値もないような路傍の花に、自分自身を見ているんじゃないかな、と感じたりして。
なんて書くと暗いかな。暗いつもりはないのだけど。市井の人間の人生は、そんなもんじゃない?
おおよそ場違いなところに立たされていたり。でも眼をやるとなかなか可愛いかったり。だけど所詮は道端の数多く溢れる花のひとつだったり。




写真があるだけ自分は救われていると思う。どんなひどい場所でも、そうやって眼にするものに、意味を見出せるから。
俺の書くこと喋ること、それに態度だってまるで信用ならないが、写真だけは嘘をつかない。それはホントだ。





昨年、初めての個展をやってから、自分の作品を世の中にどうプレゼンしていくか、と云うことについて、とにかくよく考えるようになった。

それで、2回目の個展に向けて色々考える中で、今まで全然考えもしてなかったやり方を思いついてしまって、今はそのための下調べをしている。
ちょっとこれは「個展」というやり方にはそぐわないかもなあ、と思いつつ、でも間違いなく「やりたいこと」ではあるので、去年宣言してた「次の個展」に関して、根本的に考え直さないといけないかな、などと考えつつ。


具体的な話は、色々段取りが出来てから明らかにしたいので、今はそういうフワーッとした話しか出来なくて、だとしてそれをブログに書く意味があるのか、って事なんだけども、その、何かを思いついてしまった、思いついちゃった時のワクワク感は、自分の中ではすごく大事で、前の展示の時も、実際の作業を始める前の盛り上がり方というのは物凄くて。そんな気持ちを書き留めておこうかなと。


とはいえ前回の反省として、何かを思いついてから具体的に進めるまでに時間をかけ過ぎてしまった、という点があるので、今回は迅速に物事を進めないといけないなあ、と思う。

とりとめもないですけど、色々アイディアを思いついているうちはまだ行けるかな、と思えるし、そうやってやりたいことを思いつくうちが花かな、とか思いました。では。




音楽が好きだ。

歳の離れた姉の影響で、小1くらいで邦楽の所謂ニューミュージックやフォークを、そして小3くらいからは洋楽を聴いて育った。

最初に好きになったのは多分ミッシェル・ポルナレフ、それからモンキーズとビートルズ、ベイ・シティ・ローラーズあたりを経て、当時のアイドル本の見開き2ページの洋楽ページで見たKISSに一目惚れして、そのあとクイーン、ツェッペリン、チープ・トリック、そしてその後はパンク、ニューウェーブに、というのは多分当時の女子高生の王道コース(つまり当時の姉の王道コース、って事だけど)であったのだろう。

小学生の時、9つ上の姉に連れられて男友達の家に行った覚えがある。見たこともない立派なステレオがあって(自分の家には小さなレコードプレーヤーとモノラルのラジカセしかなかった)、その人にツェッペリンの「プレゼンス」というアルバムを聴かせてもらった時に、完全なるロック耳になった。ステレオの前で正座して、A面B面をぶっ通しで聴いて、心底やられた。
あれを一人でずっと聴いている間、姉と男友達が何をしてたのかな、とか今になると時々思ったりするのだけども、とにかく聴いてるときはそれどころではなかったのだ。


人の写真を見て、この人音楽好きだな、多分こんなジャンル、というのは写真を見て大体わかる気がする。音楽が聞こえてくる。そして自分はそういう写真が好きだ。
そういう写真こそがいいとか悪いとか、そういう意味ではなくて、自分がそんな育ち方をしたから、そういう反応をするというだけの事だ。山好きな人が、山岳写真に心惹かれる(多分)のと、同じ事だ。だけども、そういう琴線への触れ方が、一番心に響くように思うので、自分の写真もまた、音楽好きの人にとって、音楽が聞こえるようなものであって欲しいと、ちょいとばかし考える。

過去に何度か、音楽を聴きながら撮る、ということにトライしてみたが、これは全然ダメであった。やはり何も聴かず、心の中に鳴っているものに従って撮る、ということでないと、上手くいかないのだろう。そりゃそうだ。
一昔前にサンプリング用で、バーナード・パーディのドラムトラックだけのCDとかあったけど(持ってるんだけども。今もあるのかは知らん)あの辺を聴きながら、自分はトランペットでも吹くつもりで撮るというのも面白そうだけど・・・やっぱりダメだろうね。

この歳になってもまだカセットテープの編集なんかしながら、好きなものって変わんないんだなあと我ながら呆れつつ。



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