EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

タグ:モノクロ


答えのない堂々巡りの深みにすぐ嵌まるとことか
ちょっとねじくれてるユーモアのセンスとか
嫌になるとぶち壊したくなる破壊衝動とか

改めたくてもなかなか改められないよ
それが人間だよ
自己啓発の本みたいな訳にはいかないよ

それでいいと思うんだけどね
ただ冬は辛いね、寂しいね
若い頃はこの寂しさも嫌いじゃなかったけどね
買って帰った靴下の梱包を解く時とかね
この歳になるといちいちね、寂しいね

この寂しさと仲良くやっていくのか
麻痺して無視してやっていくのか

それが歳をとるということなのか。





自分のiPhone6sで、夜の街や暗い建物の中を撮ると、シャッタースピードが遅くなるので、あらゆる物がブレる。

テクノロジーの進化というのは、カメラでいえば、こういったブレなどを防ぐ方向でどんどん進んでいく。必要かどうかはさておき、改善の余地がある部分をどんどん改善していく、というのがテクノロジーの進化だ。今日のいいカメラであれば、シャッタースピードの最速は数万分の1秒まで行けるし、ISO感度も数十万の桁が常用出来る範囲まできてるみたいなので、もう10年も経ったら、どんな悪条件下であれ、オートでブレてる写真になることはなくなるのかも知れない。

だが「ブレてる写真」も、失敗写真と捉える人がほとんどに違いないが、今の時代のテクノロジーのカメラを街に持っていって、シャッターを切らなければ得られないものであって、絵空事ではない、ひとつの紛れもない現実だ。

みたいなことはきっと、何年も前に森山大道氏が言及していそうな気はする。


自分は、上に書いたようなことは全て、自分の経験の上から辿り着いた見識だが、大道氏がいち早くそれに気づき、追求して、自らをアレ・ブレの作家として一時代を築いたのであるから、それは凄いことだ。
それで僕も、殊更こういう作品群として発表しようということに、今はならない。当たり前だが、真似としか取られないから。もしやるとすれば、こういう写真を撮り続けて(実際撮り続けているのだが)その先の何かに表現として到達することができるかどうか、だ。

大事なのは、誰からの受け売りでもなく、自らの経験上で、自己の見識を得ることだ。自分で見つけることだ。
誰かに従事したり、お金を払って教えてもらうとして、その見識を得るヒントを貰えるのだとしたら、それはいいことだと思う。ただ、見識そのものは、人からの受け売りではダメなのだ。


もしも、自分ひとりでは何の見識も得られないという状況に陥った場合、それは感性が足りないのであって、寧ろ感性を磨くべきであって、それは写真を見ることとは全く別のことから得られるかもしれない。

とにかくそういった、自己の見識の積み重ねの果てにしか、自分の表現はない。もしかしたらそうやって辿り着いた方法が、既に誰かが手をつけていたことだった、ということもあるかも知れない。でもその時は、自分自身で辿り着いた表現なのだから、十分な強度を持っているに違いないし、胸を張ってやるだけだろう。


個人的には、そこに辿り着けるまでは無理に表に出すこともないと思うし、なんとすれば見つからず死んでしまったとしても、残念だがそれは仕方ない事だ。誰かの真似事をして作品を発表することなんかより、数万倍もいい。

自分で見つけること。それが一番大事なことだ。



"But something is happening and you don't know what it is
Do you, Mr. Jones?"

"Ballad of a thin man" by Bob Dylan




自分のこと好きですか?
僕はあんまり好きではないです。




というよりは、自分を嫌いになるわけにもいかないんだが、今のままの自分ではダメだと感じていて、心の底から好きとは言えない、というところか。
まあ多かれ少なかれ、誰にでもある悩みだと思うんだけども。





「いい写真」は「いい人」にしか撮れないんじゃないだろうか。「いい」の定義が難しいんだけど。だとして、じゃ僕はそういう「いい人」になりたいのでしょうか?という自己疑問。






自分にとってのストリートスナップはそんな自己セラピーと化している昨今。



この世の中、



死ぬべくして死んじゃう人もいるし、
こいつ死ねよ、って皆に憎まれながらも長生きしちゃう人とか、

いろいろいるけどさ。



何故この人が死ななくちゃならなかったんだ

っていう不公平な「神様の待ち行列」もあったり。



かくも軽い存在な我々だから、ひとりひとりの人生に意味があると思う方がむつかしい。
だから、各々が好きに、そして精一杯、意味づけをしていくよりない。

人生は意思ある人のためのものだ、と信じている。



だけども時折、疲れ果て面倒臭くまどろっこしくなって、自分を不公平な待ち行列の前の方に入れてくれてもぜんぜん構わないんだけどな、それで誰かの順番が遅れるんなら、なんて思うことは、ままある。




なんて、何を思ったところで、人生は意地悪に続いていくわけで、ならばと自分の頬を引っ叩いて気合い入れて。


そういう浮き沈みの繰り返し。



どのみち時は流れるのだし。


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