EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi
タグ:フォクトレンダー
ありのままをみるのは難しいけどそれでいいのだ。
"Kitchen Experiment"
映っていることそのものは真実に違いない。
だけどそれを解釈した瞬間、既に真実がねじ曲がる可能性をはらんでいる。
それは見る人それぞれのリテラシーというものに差があるから。
その瞬間にシャッターを切って残された写真、それは真実なんでしょーか。
知らない街の様子を撮ったとして、そこの生活レベルが純朴であればあるほど、被写体が子どもであればあるほど、真実は映りやすい。真っ直ぐでねじ曲がる要素が少ないから。だから例えば戦場カメラマンの多くは子どもの写真を撮りたがるのかも知れない。その目に映る涙に嘘がないから。
けれどその被写体をカメラマンが選んでいる時点で、事実はほんの少しだけねじ曲げられているような気がする。
町中で子どもが大泣きしている。横で母親が怒ってわめき散らしてる。早とちりな人ならばすわ虐待かと思うだろう。でも子育ての経験のある人なら、幾ばくか母親に瞬間的に同情出来るかも知れない。
僕自身は割とフェアというか、中立的に偏見のない見方を出来る人間だと思っていたのだけど、案外正しいことが見えてなかったんだなと感じることにたまに出くわす。今日もそうだった。
たまに、と書いたけどもしかしたらずっとそうだったのかも知れないし、気づいてないのは自分だけなのかも知れない。
だからといって後悔もない。それは今更どうしようもないし、もしかしたら、だからこそ写真が向いてるのかも知れないし。
と言葉にするとややこしいけど、みんなそうだよ。当たり前のこと。気づかないだけ。多分ね。
そんで自分は今「全ての写真はフィクションである」って結論して、いい言葉だと感じたけどもこれ、間違いなく誰か言ってるよな笑。誰か言ってたなら教えてください。その人から写真を学びたい気分です。
感情の迸り。
時々自分自身や自分の写真を客観的に見るのは難しくて、なのでたまに他人に写真を選んで貰ったりするのはいい。上に書いたようなことに気づいたりできるので。
気づきがあって、それから感情の迸りがあって、ふと思い立ってキッチンで撮った1枚。ただの写真だけども、自分の気持ちがここにある。と信じて続けていかないとな。