EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

カテゴリ: 人生



写真をはじめて6年目。その間、全く写真を撮らなかった日というのは恐らく10日もない。撮りたいものは何でも、ありとあらゆるものを撮ってきた。

 


この頃は道端の花ばかり撮っている。以前の自分なら「撮る価値もない」と思っていたものだ。



「以前の自分なら」と今書いたが、果たして、今は撮る価値があると思って撮っているのかどうか。それは正直よくわからない。
ただ、撮らずにいられないでいる、というのが正しい。



恐らく自分はそんな、何の価値もないような路傍の花に、自分自身を見ているんじゃないかな、と感じたりして。
なんて書くと暗いかな。暗いつもりはないのだけど。市井の人間の人生は、そんなもんじゃない?
おおよそ場違いなところに立たされていたり。でも眼をやるとなかなか可愛いかったり。だけど所詮は道端の数多く溢れる花のひとつだったり。




写真があるだけ自分は救われていると思う。どんなひどい場所でも、そうやって眼にするものに、意味を見出せるから。
俺の書くこと喋ること、それに態度だってまるで信用ならないが、写真だけは嘘をつかない。それはホントだ。





ある青年が女の子に恋をした。彼女は青年の友人の、所謂元カノだった。そのせいで青年は友人達に悪く言われる日々もあったが、彼女のことを本気で好きになった。

だが彼女には他にも好きな男の子がいた。決してどちらかに決めるという事は無かった。寧ろ、もう一人の男の子の方が好きだったのだろう。少なくとも、その青年ただ一人を愛することは無かった。


青年はそういう状況に耐えられなくなり、彼女と会うのをやめた。

やがて他の女の子と知り合い、それは必ずしも彼の理想の女の子では無かったかも知れないが、その娘と暮らすことが、違う自分へと踏み出す機会になると信じた。そして、その娘と結婚し、家庭を築いた。

その娘には少し、難しいところがあった。それでも、長く連れ添うことで、お互いの隙間が埋まってくるだろうと、彼は信じた。だがそれは年月を経て、寧ろ大きな溝となった。結局、夫婦の仲は破綻し、彼は再び独りになった。


二十数年も経ってから、彼は再び冒頭の女の子と再会する。あれから色々あった。全ては過去のこととなった今なら、彼女も自分を受け入れてくれるのではなかろうか、と。

だが彼女は相変わらずだった。彼女には彼氏がいて、それでも彼は彼女と会い続けるのだが、それは、過去のそれと何も変わらなかった。


そうではない、と信じたくてそんな日々を続けていたある日、全くの偶然で、彼は旧友と再会してしまう。その旧友とは誰でもない、若き日の青年の友人、その彼女の元彼であった。彼は、青年が結婚した頃に事故で昏睡状態となり、目覚めた時にはある時点より過去の記憶を失ってしまった。彼の頭に残っているのは、その彼女と別れる前までの事で、彼は何故目覚めた時に彼女がいなかったのか、彼女との間に何が起きたのかを、青年(といってももう十分中年なわけだが)に問うのだ。その問いはそのまま、彼が忘れたいと思っていた過去の気持ちを、そのまま連れ戻す事となった。


そしてその気持ちと今の気持ちを照らし合わせた時に、彼自身も何も変わっていなかったことを悟った。色々な経験を経て、違う自分になったかのように思っていたのはまるで錯覚で、そう、人は本質的には、何も変わりはしないということを彼は知り、再び、独りに戻るのだった。



という映画を観た。そして映画館を後にした。



そうねえ。人は変われない。長く生きれば、上手くやり過ごす術を身につける事は出来るかも知れない。しかし本質的には、何にも変わりはしない。


太陽の黒点が減少して、地球は再びプチ氷河期になっていくのだそうだ。そんな風に、取り巻く環境が大きく変わって行くとしても、人は変われない。皆、運命の上を滑り降りて行くでしかない。でもそれでいいんじゃないかなと、この頃は思う。焦ることも悩むことも、何もない。只々人生を全うしていくだけだ。






酷いニュースだと思う。
こんな境遇の子供を苛めた罪は重い。それは弁護のしようがない。だが苛めている方にも、何らか理由があろうという気もしなくもない。

この子供達がどうかは知らないが、昨今夜出歩けば、例えばファミレスでご飯食べてる時でもいい、とにかく夜、子供の姿をよく見る。
夜の8時や9時まで、塾だなんだと、子供が外を出歩くなんて、異常だ。
誰がこんな世の中をデザインしたのか。我々大人全員だ。馴れ合いの仕事でダラダラ残業して、電車の中で隣の人を肘で押しやってはスマホの世界に食い入るように没頭して、自分の娯楽だけ追求する、ネットを見れば誰かの不倫やら失言やらをイナゴみたいによってたかって叩く、テレビを見れば下らない芸人が暴言吐いて笑いをとる。
そして子供達には、そんな風になって欲しくないと、勉強させる、そんな我々大人全員全てが、今の世の中を作ってる。
今の子供達は、そういう事全ての成れの果ての世界に、乗らざるを得ない。

今、自分の子供に何を教えたいだろう。何か一つ大事なことを教えるとしたら何だろう。

今自分はこう思う。
「人の痛みをわかる人間になれ」と。

人の痛みをどうにかしてあげろなんてことは要求しない。できない。この歳になれば分かるが、自分のことだけで精一杯だ。人のことをどうにかしてあげられるのは、時間やお金に余裕のある人間か、余程の人格者だけだ。
だけどせめて、人の痛みをわかってあげられるようになって欲しい。自分とは立場の違う人の痛み。自分がその状況に陥った時にどうなるか想像できる力。共感してあげられる心。

写真でも何でも、表現行為が人の考えや行動に関与しようなんて考えると、だいたいロクなものにはならない。だけどもしも可能なのであれば、自分の表現がそういう事に向かわせる力になれたとしたら、いいと思う。人の痛みをわかるための何かに。ゆくゆくそういうものになっていけばいいと思う。

まだまだ表現力が伴わない。まだ今は、心の痛みの上っ面をなんとなく絵にしているだけだ。でもその先に目指すべきところは、そういうところだと思う。だって、自分が生涯かけて伝えたいことがあるとしたら、つまるところそういうことなのだから。




答えのない堂々巡りの深みにすぐ嵌まるとことか
ちょっとねじくれてるユーモアのセンスとか
嫌になるとぶち壊したくなる破壊衝動とか

改めたくてもなかなか改められないよ
それが人間だよ
自己啓発の本みたいな訳にはいかないよ

それでいいと思うんだけどね
ただ冬は辛いね、寂しいね
若い頃はこの寂しさも嫌いじゃなかったけどね
買って帰った靴下の梱包を解く時とかね
この歳になるといちいちね、寂しいね

この寂しさと仲良くやっていくのか
麻痺して無視してやっていくのか

それが歳をとるということなのか。





今年のお盆は母を連れて、父の墓参りに行った。

思えば、自分の目の前で人が死ぬところを見た記憶があるのは、父だけだ。
もしかしたら母方の祖母の死にも立ち会っていたのかもしれないが、あまりに小さすぎて覚えていない。
父の死は、父の53の誕生日の少し前、自分は23の時だった。悪性リンパ腫だった。

もしかしたら悪い病気かもしれない、という話になって、検査入院をしてから死ぬまでは、半年無かったような気がする。検査入院の前の晩に一緒に風呂に入った事をいまだに思い出す。それから、あっという間に悪化して、あっという間に死んでしまった。

病気が分かってから、もっとも本人には最後までそうだとは伝えなかったが、父は入退院を繰り返した。病院にいるときは煙草が唯一の楽しみで、やたら色々な銘柄を試していた。

最後に家に戻ってきたとき、レンタルビデオを見ようという話になり、何を見るかという話になった。俺はロビン・ウィリアムズ主演の何か、ヒューマンドラマ的な映画を見たがったのだが、父が嫌がった。それで揉めた。
後々思えば、その時の父は、湿っぽい映画ではなく、もっとタフに生き抜く、ダイハードやランボーのような映画を見たかったのだ。そりゃそうだ。俺は若くて阿呆だった。その時の父はとても元気がなく、寂しげに見えた。その時の事を時々思い出して、今でも悔やむ。

その後病院に戻ってからは、家にいたときの見る影もなかった。父は石原裕次郎に憧れていて、実際背も大きく、体格から何から似ていて、声量もあり歌も上手く、ススキノで流しをやっていたこともある程だった。その父が、震えが酷くなって喋れなくなり、モノを書いてもミミズの這うような文字になった。自分は出来る限り仕事を休んで、何日も病院に泊まった。いつどうなっても、ちゃんと見送ってやれるように。

臨終の間際、父は死んでなるものかと言わんばかりに、目を見開き、体を震わせていた。やがてピタリと震えが止まり、それと同時に鼻からツーッと血が流れた。心電図が映画みたいに動かなくなった。それから、医者が時計を見ながら医学的に決められた時間の経過を待ち、改めて脈を確認し、ご臨終です、の一言を告げた。俺はベッドを蹴飛ばしていた。

父が死んだ後、初めて祖母から、父の子供時代の写真を一枚、見せて貰った。
父の生まれ故郷である北海道の岩内という町は昔、町中を焼き尽くす大火に見舞われ、父の写真は殆ど焼けてしまったのだ。というか、その一枚を見せられるまで、父の写真はないものと聞いていたから、ビックリした。自分は父が30になるかならないかの時の子供だから、生まれたときから父の死まで、自分より若い父の姿というものを見ずに育って来たのだから、何だか奇妙な感じであった。

今現在既に、自分の二人の姉は父よりも年上になり、あと四年もすれば自分も、父が死んだのと同じ年になる。父より長生きする気が、あまりしない。というか想像つかない。

父は苦しみながらも、家族全員に看取られながら死んだ。死の間際、本人にそれが見えていたのかどうかは知らないが、そのことについては幸せだったと思う。

前からそうだが、ここ最近はさらに、自分が誰に何を残せるのか、出来れば何かを残したい、という気持ちが強まっているように感じる。血の繋がった誰かでないにしても、生きた証として誰かに、何かを残して行けるようでありたいと願う。そういう人生を歩みたいと願う。

23の自分は、まだ結婚もしていなかったし子供もいなかったし、当然離婚もしてないわけで、当時はちょうど、最初の転職をした頃だった。父が死んでからずっと、今なら聞きたい事が山ほどあるのにと思い続けているが、いないので仕方ない。それでも、こんな時、父ならどうしただろうなと考えることが、たまにある。そうやって親というものは、傍にいなくともずっと親として、心の中に残っていくものなのだろう。



このページのトップヘ