EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

カテゴリ: 人生


というのはエレカシの「Starting Over」というアルバムに収録されている「こうして部屋で寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい」という超名曲の一節でありまして、良さを語り尽くせないので気になった人は聴いてみてください。

さて何で急にそんな歌詞の引用をしたかというと今日。まさに今日。友達とLINEでやりとりしてて過去の自分を振り返る事がありそこでつくづく、俺の人生、ホントメチャメチャだなあと思いまして。

問題というか、対処すべき事が生じたとして、自分、仕事でも何でもそうなんだけど、ある意味結果のためには手段を選ばない、みたいなとこがあって、あんまり後先の事を考えなかったりする、事が多いな、と。つくづく感じた。

そんなんでも48迄は生きてこられたけど、ちゅうかもうすぐ49になっちゃうけど。49歳。始終臭い。どうなのかなあ、あと2年くらい、50までが限度なんじゃないかなあと、何となく想う。人生が羽生名人だったらとっくに30歳くらいで王手をかけられて積んでたんだと思うんだけども、俺がのらりくらり強いのか人生が弱いのか、連続で王手王手かけられてるのは間違いないんだが決め手に欠ける、みたいなね。でもいい加減ヤバいんじゃないすかね。

とはいえまだ、やり尽くしていない事があるので、くたばる訳には行かないのだが。
そんな風に考えてたら冒頭の一節が頭に鳴り響きました。
まあ神社とか行って自分のことばかりお願いする奴は運気が下がるらしいけどね!

写真は去年の今頃行った海の記憶。夏だね。



神は七日間で世界を作って、
七日目に休んでそれを安息日としたから
その日は何にもしちゃいけないらしい。


で、それは日曜日だと思うじゃない、普通は。ってこの場合の普通の基準がわからんけどさ、習慣として、ね。
安息日は、金曜の日没から土曜の日没までらしいよね。花金だーと浮かれてる奴とか、土曜の朝から家族サービスしてるパパとか、みんな死刑だよ。

まあ、わけがわからないよね。旧約聖書ってのは色んな宗教の源流で、読んでる人もたくさんいながら、そんな基本的なところから皆、破ってる訳だから。

俺たちは皆悪魔の末裔なのかもよ。
そしたら色んな事が納得いくよね。

旧約聖書についてもっと理解したい、とかじゃないが、この世の成り立ちだったり、人の心とか、そんな謎について、もう少しわかりたいね。ヒトの歴史は何万年?その割に俺ら、何にもわかってないもんね。





"Now you're standing there tongue tied
You'd better learn your lesson well
Hide what you have to hide
And tell what you have to tell"

いま君は立ち尽くしている、舌は強ばって
いい加減よく学んだ方がいい
隠すべきは隠せ
言うべきことを言え

"Policy of Truth" by Depeche Mode


赤ん坊であれば、不快であったりお腹が空けば泣くし、眠ければ寝る。だが大人の場合、感情とそれに反応する行動というのは、必ずしも一致しない。
大人になってもそこが一致してないといけない、ということになった場合、年がら年中泣いていないといけない大人が激増してしまう。大人には悲しいことが多い。

と言って、何故大人になると悲しいことが多いのか。感情が豊かになったから?経験が増えるから?本当は悲しくないことまで悲しんでやいないか?と、思考がどんどんどんどん脇道に逸れたがるのだが、それは置いといて。

兎に角、大人の感情と行動は一致しない。

それを認めておきながらも、僕は言葉というものに絶大の信頼を置いていて、嘘はよくない、素直が一番いい、と信じて疑わずにここまで来てしまった。齢四十八。

感情は演ずることを許しているのに、話すことには演ずることを許していないのだ。これは矛盾だ。そして、こういう矛盾が、様々な誤解を生み出すのだなあ、と気づいてしまった。齢四十八にして。


言葉は厄介だ。言葉を尽くしても、全く伝わらない、という場面を、生きていると何度も目にする。自分に限った話ではない。仕事でも何でも、我々は言葉でやりとりせざるを得ないくせに、言葉で伝わらない事は、山ほどある。


だもんで、少なくともこのブログにおいては、写真ブログなわけだし、言いたいことは言葉じゃなくて写真に込めればよいのであって。 

見る側が、写真から何を読み取っても、自由だから。そこに誤解という概念は、あってないようなものだから。

とはいえブログなんで、ごちゃごちゃ書いちゃいますけど、本当に伝えたいことは、はじめからひとつだけで、それは写真見てくれたらそれでいいです、ってことです。







写真をはじめて6年目。その間、全く写真を撮らなかった日というのは恐らく10日もない。撮りたいものは何でも、ありとあらゆるものを撮ってきた。

 


この頃は道端の花ばかり撮っている。以前の自分なら「撮る価値もない」と思っていたものだ。



「以前の自分なら」と今書いたが、果たして、今は撮る価値があると思って撮っているのかどうか。それは正直よくわからない。
ただ、撮らずにいられないでいる、というのが正しい。



恐らく自分はそんな、何の価値もないような路傍の花に、自分自身を見ているんじゃないかな、と感じたりして。
なんて書くと暗いかな。暗いつもりはないのだけど。市井の人間の人生は、そんなもんじゃない?
おおよそ場違いなところに立たされていたり。でも眼をやるとなかなか可愛いかったり。だけど所詮は道端の数多く溢れる花のひとつだったり。




写真があるだけ自分は救われていると思う。どんなひどい場所でも、そうやって眼にするものに、意味を見出せるから。
俺の書くこと喋ること、それに態度だってまるで信用ならないが、写真だけは嘘をつかない。それはホントだ。





ある青年が女の子に恋をした。彼女は青年の友人の、所謂元カノだった。そのせいで青年は友人達に悪く言われる日々もあったが、彼女のことを本気で好きになった。

だが彼女には他にも好きな男の子がいた。決してどちらかに決めるという事は無かった。寧ろ、もう一人の男の子の方が好きだったのだろう。少なくとも、その青年ただ一人を愛することは無かった。


青年はそういう状況に耐えられなくなり、彼女と会うのをやめた。

やがて他の女の子と知り合い、それは必ずしも彼の理想の女の子では無かったかも知れないが、その娘と暮らすことが、違う自分へと踏み出す機会になると信じた。そして、その娘と結婚し、家庭を築いた。

その娘には少し、難しいところがあった。それでも、長く連れ添うことで、お互いの隙間が埋まってくるだろうと、彼は信じた。だがそれは年月を経て、寧ろ大きな溝となった。結局、夫婦の仲は破綻し、彼は再び独りになった。


二十数年も経ってから、彼は再び冒頭の女の子と再会する。あれから色々あった。全ては過去のこととなった今なら、彼女も自分を受け入れてくれるのではなかろうか、と。

だが彼女は相変わらずだった。彼女には彼氏がいて、それでも彼は彼女と会い続けるのだが、それは、過去のそれと何も変わらなかった。


そうではない、と信じたくてそんな日々を続けていたある日、全くの偶然で、彼は旧友と再会してしまう。その旧友とは誰でもない、若き日の青年の友人、その彼女の元彼であった。彼は、青年が結婚した頃に事故で昏睡状態となり、目覚めた時にはある時点より過去の記憶を失ってしまった。彼の頭に残っているのは、その彼女と別れる前までの事で、彼は何故目覚めた時に彼女がいなかったのか、彼女との間に何が起きたのかを、青年(といってももう十分中年なわけだが)に問うのだ。その問いはそのまま、彼が忘れたいと思っていた過去の気持ちを、そのまま連れ戻す事となった。


そしてその気持ちと今の気持ちを照らし合わせた時に、彼自身も何も変わっていなかったことを悟った。色々な経験を経て、違う自分になったかのように思っていたのはまるで錯覚で、そう、人は本質的には、何も変わりはしないということを彼は知り、再び、独りに戻るのだった。



という映画を観た。そして映画館を後にした。



そうねえ。人は変われない。長く生きれば、上手くやり過ごす術を身につける事は出来るかも知れない。しかし本質的には、何にも変わりはしない。


太陽の黒点が減少して、地球は再びプチ氷河期になっていくのだそうだ。そんな風に、取り巻く環境が大きく変わって行くとしても、人は変われない。皆、運命の上を滑り降りて行くでしかない。でもそれでいいんじゃないかなと、この頃は思う。焦ることも悩むことも、何もない。只々人生を全うしていくだけだ。




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