EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

カテゴリ: 人生


"Now you're standing there tongue tied
You'd better learn your lesson well
Hide what you have to hide
And tell what you have to tell"

いま君は立ち尽くしている、舌は強ばって
いい加減よく学んだ方がいい
隠すべきは隠せ
言うべきことを言え

"Policy of Truth" by Depeche Mode


赤ん坊であれば、不快であったりお腹が空けば泣くし、眠ければ寝る。だが大人の場合、感情とそれに反応する行動というのは、必ずしも一致しない。
大人になってもそこが一致してないといけない、ということになった場合、年がら年中泣いていないといけない大人が激増してしまう。大人には悲しいことが多い。

と言って、何故大人になると悲しいことが多いのか。感情が豊かになったから?経験が増えるから?本当は悲しくないことまで悲しんでやいないか?と、思考がどんどんどんどん脇道に逸れたがるのだが、それは置いといて。

兎に角、大人の感情と行動は一致しない。

それを認めておきながらも、僕は言葉というものに絶大の信頼を置いていて、嘘はよくない、素直が一番いい、と信じて疑わずにここまで来てしまった。齢四十八。

感情は演ずることを許しているのに、話すことには演ずることを許していないのだ。これは矛盾だ。そして、こういう矛盾が、様々な誤解を生み出すのだなあ、と気づいてしまった。齢四十八にして。


言葉は厄介だ。言葉を尽くしても、全く伝わらない、という場面を、生きていると何度も目にする。自分に限った話ではない。仕事でも何でも、我々は言葉でやりとりせざるを得ないくせに、言葉で伝わらない事は、山ほどある。


だもんで、少なくともこのブログにおいては、写真ブログなわけだし、言いたいことは言葉じゃなくて写真に込めればよいのであって。 

見る側が、写真から何を読み取っても、自由だから。そこに誤解という概念は、あってないようなものだから。

とはいえブログなんで、ごちゃごちゃ書いちゃいますけど、本当に伝えたいことは、はじめからひとつだけで、それは写真見てくれたらそれでいいです、ってことです。







写真をはじめて6年目。その間、全く写真を撮らなかった日というのは恐らく10日もない。撮りたいものは何でも、ありとあらゆるものを撮ってきた。

 


この頃は道端の花ばかり撮っている。以前の自分なら「撮る価値もない」と思っていたものだ。



「以前の自分なら」と今書いたが、果たして、今は撮る価値があると思って撮っているのかどうか。それは正直よくわからない。
ただ、撮らずにいられないでいる、というのが正しい。



恐らく自分はそんな、何の価値もないような路傍の花に、自分自身を見ているんじゃないかな、と感じたりして。
なんて書くと暗いかな。暗いつもりはないのだけど。市井の人間の人生は、そんなもんじゃない?
おおよそ場違いなところに立たされていたり。でも眼をやるとなかなか可愛いかったり。だけど所詮は道端の数多く溢れる花のひとつだったり。




写真があるだけ自分は救われていると思う。どんなひどい場所でも、そうやって眼にするものに、意味を見出せるから。
俺の書くこと喋ること、それに態度だってまるで信用ならないが、写真だけは嘘をつかない。それはホントだ。





ある青年が女の子に恋をした。彼女は青年の友人の、所謂元カノだった。そのせいで青年は友人達に悪く言われる日々もあったが、彼女のことを本気で好きになった。

だが彼女には他にも好きな男の子がいた。決してどちらかに決めるという事は無かった。寧ろ、もう一人の男の子の方が好きだったのだろう。少なくとも、その青年ただ一人を愛することは無かった。


青年はそういう状況に耐えられなくなり、彼女と会うのをやめた。

やがて他の女の子と知り合い、それは必ずしも彼の理想の女の子では無かったかも知れないが、その娘と暮らすことが、違う自分へと踏み出す機会になると信じた。そして、その娘と結婚し、家庭を築いた。

その娘には少し、難しいところがあった。それでも、長く連れ添うことで、お互いの隙間が埋まってくるだろうと、彼は信じた。だがそれは年月を経て、寧ろ大きな溝となった。結局、夫婦の仲は破綻し、彼は再び独りになった。


二十数年も経ってから、彼は再び冒頭の女の子と再会する。あれから色々あった。全ては過去のこととなった今なら、彼女も自分を受け入れてくれるのではなかろうか、と。

だが彼女は相変わらずだった。彼女には彼氏がいて、それでも彼は彼女と会い続けるのだが、それは、過去のそれと何も変わらなかった。


そうではない、と信じたくてそんな日々を続けていたある日、全くの偶然で、彼は旧友と再会してしまう。その旧友とは誰でもない、若き日の青年の友人、その彼女の元彼であった。彼は、青年が結婚した頃に事故で昏睡状態となり、目覚めた時にはある時点より過去の記憶を失ってしまった。彼の頭に残っているのは、その彼女と別れる前までの事で、彼は何故目覚めた時に彼女がいなかったのか、彼女との間に何が起きたのかを、青年(といってももう十分中年なわけだが)に問うのだ。その問いはそのまま、彼が忘れたいと思っていた過去の気持ちを、そのまま連れ戻す事となった。


そしてその気持ちと今の気持ちを照らし合わせた時に、彼自身も何も変わっていなかったことを悟った。色々な経験を経て、違う自分になったかのように思っていたのはまるで錯覚で、そう、人は本質的には、何も変わりはしないということを彼は知り、再び、独りに戻るのだった。



という映画を観た。そして映画館を後にした。



そうねえ。人は変われない。長く生きれば、上手くやり過ごす術を身につける事は出来るかも知れない。しかし本質的には、何にも変わりはしない。


太陽の黒点が減少して、地球は再びプチ氷河期になっていくのだそうだ。そんな風に、取り巻く環境が大きく変わって行くとしても、人は変われない。皆、運命の上を滑り降りて行くでしかない。でもそれでいいんじゃないかなと、この頃は思う。焦ることも悩むことも、何もない。只々人生を全うしていくだけだ。





今日は全然写真の話じゃなくて、音楽の話。明日、武道館に観に行くバンドの話。

ザ・コレクターズを知ったのは31年前、1986年のことだった。
高校の同級生の友達だったカズヒコに教えて貰った。カズヒコはコレクターズのメジャーデビュー前に、東京から遥か離れた札幌で、前身バンドのバイクスの音源をラジオで聴いて、その後コレクターズのファンクラブ会員第1号になった男だ。

とは言え俺は当時、ほぼ洋楽しか聴かなかったので、すんなりすぐ気に入った訳ではなかったのだけど、あまりにカズヒコや、当時の友達が何度も聴かせるので、だんだん曲を覚えてしまった。

決定的だったのは、その流れで、カズヒコが"MODS"なるものを教えてくれたことだった。
カズヒコは俺に、モッズカルチャーと関係の深い60年代UKのバンド、フーとスモールフェイセズ、そしてキンクス辺りのテープを編集してくれた。自分ももともとUKロック好きだったし、ツェッペリンやビートルズは聴いていたけど、その辺は聴いたことなかった。70年代の終わり、ストラングラーズやポリスは好きだったけど、ジャムはピンと来なかった。
というわけで俺の中にモッズ関係はすっぽり抜け落ちていたのだけど、86年に突然、俺にモッズカルチャーの波が来た。
それらを経て、その意匠がサウンドに色濃く漂うコレクターズも、大好きになった。

コレクターズが最初に、札幌のペニーレインでライブをやったとき、当時知り合いだった怒髪天の増子さんが、バリバリのモッズファッションで来ていたことを思い出す。当時増子さんは既に怒髪天をやっていたから、普段モッズファッションなんか勿論してなかったけども、その日は確か、白シャツに黒の細身のタイ、エンジ色のジャケットにアーミーパーカー羽織って、髪を下ろして、さらば青春の光のジミーばりに決めていた。若かりし頃の増子さんの詩には、モッズカルチャーを描いた映画、さらば青春の光にインスパイアされた「ジミーのように 海になりたい」なんて歌詞もあったから何の不思議もなかったんだけども、普段とのギャップでやけにおかしかったことを思い出す。

それからコレクターズが札幌でライブをやるときは必ず行った。当時、まだ札幌に住んでいたピロウズのさわおくん(カズヒコの高校の同級生だった)が、コレクターズ関係の本で当時の話をするに「普段どこにいるのかわかんないんだけど、コレクターズのライブになるとモッズがどこからともなく集まる」とよく言っているが、そのうちの一人が俺だった。(レコレコとかよくいたんだけどね?)

コレクターズはその後もなかなかブレイクしなかったから、札幌ツアーも予算的にしんどくなっていたのだと思う。だんだん札幌に来る回数が減ってきていた。


その後最初のメンバーチェンジがあり、俺自身も個人的な色々があり、そんな中、コレクターズは突然「世界を止めて」という曲をスマッシュヒットさせる。これが入っている「UFO CLUV」というアルバムは、コレクターズに大して興味なかったうちの姉ですら、CDを買っていたくらいだから、大ヒットとは言わずとも、そこそこ売れていたんだろうと思う。

そして次のアルバム「CANDYMAN」が大々的にプロモーションされて、札幌のFMノースウェイブからシングル「MOON LOVE CHILD」がよく流れるのを聴いて、もういいかな、と、コレクターズを離れた。


とはいえその後、コレクターズがスター街道を突き進んだかというと、そんなことはなかった。
俺自身もサラリーマンになって、転職して転職して、結婚して離婚して、色々だった。
そんな中コレクターズは、レコード会社との契約が切れようが、事務所が潰れようが、大ヒットに恵まれ無かろうが、一度も止めることなくバンドを続けてきた。

そんなある日、コレクターズの「地球の歩き方」というアルバムを聴く機会があった。これはちょうど3.11の震災の最中作られたアルバムだったということもあろうが、そこに居たのは昔のナイーブな青年の面影をほんの少しだけ残しつつも、もっとタフなグルーブを持ったロックバンドに、化けていた。
それをきっかけにコレクターズを追ってみると、なんだかいつの間にかポッドキャストの番組「池袋交差点24時」が、ランキング1位の人気番組になっていたことを知った。

実はリーダー加藤さんとコータローさんの話は、昔から面白かった。ただ昔と決定的に違うのは、今のポッドキャストのリスナーには想像が難しいかも知れないが昔は、コータローさんは気さくに話しかけられる感じだったが、加藤さんはとてもとても話しかけられる雰囲気ではなかったという事だ。すげえ怖いオーラ全開だった。

そんな加藤さんがあんないい人っぽく馬鹿話をしている。それくらい、30年というのは、長い月日だ。さすがに。


そして明日、2017年3月1日、コレクターズは30年目にしてバンド結成初の日本武道館単独コンサートを行う。
タイトルこそ「MARCH OF THE MODS」と名打たれているものの、今のコレクターズは良くも悪くもゴリゴリのモッズバンドではないし、音楽自体もっと間口が広く、懐の広いロックになった。(決してソフトになったとか、柔になったとか、そういう意味ではない)
だから本当は、今までコレクターズのライブを観たことがない人にこそ、明日は観て貰いたい。こんなロックバンドは今のところ日本にいないのだから。

それでも俺個人は、ここに書いたような昔の思い出を沢山抱えた今の俺で、このライブを観に行きます。泣いても許してください。
そしてそれが終わればまた、俺は俺の人生を力強く歩んで行きたいです。夢を諦めずに頑張り続けているコレクターズや怒髪天、ピロウズのさわおくんのように。

月がとても無口な夜 錆びた線路に耳を当てて 
カーニバルが来るのを待った 必ず来るって信じていた
君は待てずに ここを飛び出した
もう少しだけ 僕はここで 時計の針を 止めて待ってよう

〜カーニバルがやって来る Written by 加藤ひさし





酷いニュースだと思う。
こんな境遇の子供を苛めた罪は重い。それは弁護のしようがない。だが苛めている方にも、何らか理由があろうという気もしなくもない。

この子供達がどうかは知らないが、昨今夜出歩けば、例えばファミレスでご飯食べてる時でもいい、とにかく夜、子供の姿をよく見る。
夜の8時や9時まで、塾だなんだと、子供が外を出歩くなんて、異常だ。
誰がこんな世の中をデザインしたのか。我々大人全員だ。馴れ合いの仕事でダラダラ残業して、電車の中で隣の人を肘で押しやってはスマホの世界に食い入るように没頭して、自分の娯楽だけ追求する、ネットを見れば誰かの不倫やら失言やらをイナゴみたいによってたかって叩く、テレビを見れば下らない芸人が暴言吐いて笑いをとる。
そして子供達には、そんな風になって欲しくないと、勉強させる、そんな我々大人全員全てが、今の世の中を作ってる。
今の子供達は、そういう事全ての成れの果ての世界に、乗らざるを得ない。

今、自分の子供に何を教えたいだろう。何か一つ大事なことを教えるとしたら何だろう。

今自分はこう思う。
「人の痛みをわかる人間になれ」と。

人の痛みをどうにかしてあげろなんてことは要求しない。できない。この歳になれば分かるが、自分のことだけで精一杯だ。人のことをどうにかしてあげられるのは、時間やお金に余裕のある人間か、余程の人格者だけだ。
だけどせめて、人の痛みをわかってあげられるようになって欲しい。自分とは立場の違う人の痛み。自分がその状況に陥った時にどうなるか想像できる力。共感してあげられる心。

写真でも何でも、表現行為が人の考えや行動に関与しようなんて考えると、だいたいロクなものにはならない。だけどもしも可能なのであれば、自分の表現がそういう事に向かわせる力になれたとしたら、いいと思う。人の痛みをわかるための何かに。ゆくゆくそういうものになっていけばいいと思う。

まだまだ表現力が伴わない。まだ今は、心の痛みの上っ面をなんとなく絵にしているだけだ。でもその先に目指すべきところは、そういうところだと思う。だって、自分が生涯かけて伝えたいことがあるとしたら、つまるところそういうことなのだから。



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