随分前に書いたけど、5年前に初めてiPhone4S買って、はじめに入れたアプリがInstagramであった。その時点でもう相当なユーザー数がいたし、ここじゃ上には行けなさそうだなあと思って、すぐにtadaaっていう写真SNSアプリを根城にするのですけど。まあ当時はそんな戦略的な事も何となく考えていた。若かった。

そして2016年もそろそろ終わる、現在。
とっくの昔にtadaaはなくなったし、競合だったEyeEmも後発のVSCOCamも、はたまたHipstamaticの始めたOgglも、どうなったのか全然知らないが、多分ほぼ全滅状態だろう。Twitterですらダメになりつつあるくらいだし。

ここ数日ネットを賑わせているWelqのニュースが端的に示しているように、インターネットはビューを稼ぐためのノイズだらけになってしまった。ブロガーは広告収入狙いで、それってテレビがずっとやってきたことの後追いでしかなくて、なんとなくいつか来た道というか、閉塞感のようなものが漂いつつある、気がしてる。

閑話休題。
そういった中でInstagramは、Facebookとくっついた事が結果的にはよかったってことなのだろうけども、うまいこと続いているなあと、そういう感じである。
とはいえその趣は、随分と変わってしまったわけだが。というか、変わったからこそ、未だに続けられているのだろう。今やInstagramは、写真作品発表の場ではなくて、写真を介したコミュニケーション手段として、唯一無二の場所を提供している。今のところ。

自分はもう長いこと、@monochromegyangoというアカウントをメインで続けているけども、モノクロ縛り、ってのがあるだけで、それ以外写真の一貫したテーマ性もなければ連続性もなく、その日撮ったものや思いつきを好きにアップしている。フォロワーも増えないし増やしてないし、コミュニケーションらしいコミュニケーションもしないし、何のために続けてるのかな?と自問自答することもあるのだけど、何となく気づいたのは、写真をアップした途端に、写真が突然客観的なものになって、色々個人的に考えさせられる事はあるんですよね。まあそんな思考訓練の場として便利、てな風に、自分の中では位置づけています。

まあそういう風に使うのも別に悪かないだろうし、今となってはそういうところもなかなか他にないわけで、なくならずに続いて欲しいな、とは思います。