岡崎から東京に遊びに来た友達が、東京オペラシティ アートギャラリーに、ライアン・マッギンレーの写真展を見に行くのだ、と言うので、ついて行った。 

最初「ライアン・マッギンレーの写真展」というのが「雷山銀嶺の写真展」と聞こえ、仏像か山でも撮りまくっている写真家かと思った程度に、ライアン・マッギンレーのことを知らなかった。 
が、あとで思いだしたのだが、自分はこの記事をだいぶ前に読んでいたのだった。 

ライアン・マッギンレーより、若き写真家たちへ贈る言葉。 

展示の最初の部屋には、裸の若者のポートレートが並ぶ。 
いま「アメリカで最も重要な写真家」と評価される写真がこれなのか、と正直釈然としない思いのまま、次の部屋へ。 
次の部屋には、大自然の中、河に浮かぶ流木や、氷河の上に、全裸のモデルを配した写真群が。このシリーズは説明不要で直感的に、いいなと感じた。 

そんな展示の中に一枚、"Morrissey"というタイトルの写真があった。 
"Morrissey"、というのは、80年代、その人気の絶頂期に解散したマンチェスター出身のバンド「ザ・スミス」の元ボーカリストであり、現在もソロで、第一線で音楽活動を続けている「モリッシー」のことだ。 
ザ・スミスはモリッシーという類い希なる詩人と、ジョニー・マーという、80年代、エレポップ全盛、ギターロックと言えばLAメタルなんかが活発だった中、リッケンの12弦なんかを抱えて異彩を放つギターヒーローがフロントマンだった。
活動歴は五年ほどだったが、影響を受けたミュージシャンも多く、今なお伝説のバンド的に評価され続けている。
僕は高校生の頃、リアルタイムでその解散に至るまで、ザ・スミスの(わりかし熱狂的な部類の)ファンだった。 ザ・スミスがリリースしたレコードのジャケットは全て、テレンス・スタンプや若き日のジェームズ・ディーンなどのポートレート写真が使われており、それは全てモリッシーのチョイスによるものだった。

帰りに購入した写真展の目録を読むと、ライアンはモリッシーのツアーに同行し、その時の一連の写真を"Morrissey"というテーマで発表しているようだ。 
そういった事を知ると、一連のポートレートのシリーズの意図するところが、自分なりに理解できた気がして、そしてまたなんとなく、親近感も覚えた。 

冒頭のリンク先に、ライアンのこんな言葉がある。 
「何か没頭できるものを見つけて、それにこだわること。誰かと張り合ったりせず、自分らしさを見つけること。自分の人生で経験したことを撮って、写真史の知識と結びつけること。そしてそれら全てを混ぜ合わせて、あなた以外の人も入れるような、芸術的な世界をつくり出すことです」 


写真展の客層は実に様々だった。ミッドタウンという場所もそうだが、「アメリカで最も重要な写真家」というお墨付きをもらうというのは、こういうことなのか、と感じた。 
ライアン言うところの「あなた以外の人も入れるような、芸術的な世界をつくり出すこと」という言葉の、まさに実践例を見せつけられた。 

そこに一歩でも近づく事ができるのかわからないけど、この言葉は忘れず心に留めておこうと思った。