前回の記事で、人の表情を撮り切る事について書きました。でその後、自分の写真を見返してさらに色んな事を考えていたんですけど、人だけでなくて、あらゆる被写体には表情があるんでないかなぁと思いました。被写体というか、写された写真にというべきか。また当たり前田のクラッカーだったらすみません。最近気づきました(笑)。
ちょっと新旧交えて、自分のFlickrから引っ張ってみますが。因みに全部iPhoneです。

Violation.

Dead flow

Blue.

Warning sign in Life.

Contrast of Old & Modern.

Stone wall

Shades of a tree.

Afterglow of the sun.

割と無作為に人の写ってない風景を選んだけど、こう並べると・・・自分の写真て悲しいなぁと!何だろ、Portisheadくらいマイナー調だわ。せめてThe Cure程度には明るくしようと思いました。
閑話休題。僕、会う人とそういう話になると必ず言うんですけど、写真見る時って写ってるものそのものも見るんだけど、僕はどうしてもカメラのこっち側で撮ってる人を想像しちゃうんですよね。何となく、これ笑いながら撮ったんだろうねとか、難しい顔して撮ってんのかねとか、ここまで来るのきっと結構大変で疲れた顔して撮ってんだろんねとか、いやこの景色見た時はさすがに疲れも飛んだだろうねとか、勝手な想像に違いないんだけど、なんかそういう風に見てしまうのですよ。多分自分で撮るようになってからの事だとは思うんですけど。
写真てのはやっぱり撮る人が出るし、だからおもろい。いまどきみんなカメラやらスマホやら持ってて、言わば写真家だらけの世の中で、撮ってる人の顔の見えない写真なんかつまらんですよ。だから技術的に上手過ぎる写真はつまらないし、人真似みたいな写真もつまらない。楽器と同じかな。それについては皆違う見方を持っているのは百も承知だけど、僕はそう思ってるんです。
自分の写真については、自分の事なので人にどう見えるのかはさっぱりわかんないんです。ましてや撮る時は、殆ど無意識というか撮る事に集中してて、そんな事を意識して撮るわけではないですから。でもこれらの写真に、僕という人間が、結果的になんか滲み出てたらいいんだけどなぁ、とは思います。そうでないと、僕が撮る意味がないですから。