iPhoneography、即ち「iPhoneで写真」という事について。僕は遅れて来たiPhoneographerなので全くの主観ですが、二つの流れがあるように感じています。まずトイカメラの置き換えとしてのiPhone、という流れ。初期のiPhoneはハイスペックではなかったものの、様々な写真加工が可能なプラットフォームとして、単焦点でかつレンズの色味で個性を出すトイカメラをiPhoneでエミュレートする、というのは自然な流れであったと思います。
それからiPhoneがハイスペック化するにつれ、今度は完全にデジカメとPCでやっていた事を置き換えるという流れ。
この二つは実際やる事は同じなんですが、写真家の意識、またその作品から見ても、完全には混じり合わず、それぞれ独立した文化になっている気がしております。
その事については別の機会においおい書くとして、iPhoneographyの誕生が何をもたらしたかというと、端的に言えば僕でも撮れたって事で(笑)、特に上述した後者の流れに対して言える事ですが、以前であればカメラの操作等、習熟が必要であった部分を大幅にスキップ出来るようになった、という事です。見るからに携帯の写真、というレベルではないものがiPhone一台で作成可能になった、これは本当に凄い事だと思います。
Flickrその他のSNSで、全世界に向けて写真を発表しリアクションを貰いながら、僕は何となく自分の実力を把握しつつあります。SNSなんてのは基本褒め合いの世界なので、あまり真に受けない方がいいだろうと思っていますが、それを差し引いても何とも身に余る褒め言葉を頂く事もあり、その度に何が自分の写真を際立たせているのかという事をよく考えるのですが、写真家としては日が浅くとも、四十余年生きて様々見聞きして来たその感性が、写真に滲み出ているのかなと思っています。そんな事を可能にするツールは、カメラに限らず今まで存在しなかったわけで、これこそがiPhoneを世界で一番普及している「カメラ」たらしめている理由だと思います。
今後まだまだiPhoneがスペックアップして行く事を考えた時、技術的なハードルはどんどん下がり、上手いだけの写真というのは優位性を失い、また必然、iPhoneographyという言葉もなくなって行くのでしょう。今の自分はiPhoneで半年にしてはまぁ上出来、くらいの自己評価なのですが、そういった前提を取っ払って評価すれば全然、箸にも棒にもかからんと思っています。残る人生、伸び代があるのかどうかもわかりませんが、とにかく上だけ見て、写真を続けて行ければと願っています。