EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

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広大なインターネットの、こんな片隅で僕が言うまでもないことなのだが、ここ20年くらいで世界は変わってしまった。誰かが、グローバリぜーションというパンドラの箱を開けてしまってから。

日本人の仕事は中国に流れた。初めは、末端の製造工程だけだったが、今や根こそぎ全部持っていかれた。例えばケータイ、今HUAWEIを超える日本企業はゼロだ。ガラケーの時代にこぞって競いあっていた企業で、まだケータイを作っているのはSONYだけだ。

グローバリゼーションによって会計制度も変わり、アメリカ流を押しつけられ、コストカットを迫られ、我々の収入は減った。
遠い国の金持ち達のマネーゲームで、やれ全面株安だやれリーマンショックだと、景気はおもちゃにされた。
挙げ句、上場企業ですら終身雇用制を捨てた。一流の大学に行けば将来が保証される、なんて事は今はもう、ない。
サラ金はアプリで金を貸す時代だ。サラ金も銀行と組んで銀行系なんやらと言い方を変えているが、サラ金はサラ金でしかない。電車の車内ディスプレイでCMを見た。皆、気が狂ったように踊っている。実際気が狂っているのだろう。


怖いのは、そうやって何もかも変わってしまったことを、みんな知っていながら知らないふりをして、今まで通りの生活を続けようとしていることだ。


そういった人たちに出来ることはせいぜい、経済というコマが止まってしまわないように、コマを回し続ける事だけみたいだ。お金の使い方を指南するテレビやブログを参考に、半年後にはなくなっているかもしれない飯屋で話題のランチ、1年で着られなくなるファストファッション、2年で機種変を強いられるケータイ、3年保証が切れたとたんに故障する家電、そんな消費を意味もなく続けている。


僕だって偉そうにこんなことを書いてはいるが、何も変わらない。阿呆な日本人の一人だ。だが僕はこんなことはもう、出来ればやめにしたい。そう願っている。


そのために何が出来るだろう?考えなくてはいけない。僕の表現手段は写真だから、写真で何か、と考えてはみるが、周りの人間の心ひとつ捉えられない人間に、写真という表現で誰かの心に影響を及ぼすことなど出来るのか。

そもそも写真なんかやってる場合か。

そんなことをずっと自問自答している。



Tokyo Gate Bridge by Keisuke Takahashi on 500px.com


昨日から、500pxに3年前の2014年の10月にアップしたゲートブリッジの写真に、たくさんのlike(所謂「いいね」)がついている。
恐らくどこかでFeatureされてるのだと思うが、有料会員でないのでわからない。

以前所有していた、富士フイルムのX-T1で撮った写真で、ふと、その写真のEXIF情報を見たら、XF18-135mmというズームレンズで撮られており、今思えば後にも先にも唯一所有していたズームレンズなのだが、持っていたことすら忘れている(笑)。

自分で言うのもなんだが、大胆な構図だと思う。こういう構図はズームだったから撮れたのかな、と確認してみたところ、EXIFには焦点距離32.6mmと記録されているから、APS-C換算で48.9mm、だいたい50mmで撮ってる、ということは単焦点でも結局変わらなかったということだ。

こういったランドマーク的な建造物は、大体取れるポジションも限られてくるので、全体を綺麗に収めようとしても、大変つまらない写真にしかならない。そこで僕は橋の下に入って、ライトアップされた橋と水面に映るライトを縦構図の中央に収めて、両端に大きく影を入れている。そして、橋のラインに沿って並べられた点光源を、画面上部中央を通して天まで走らせる。我ながら大胆な構図だと思うし、狙いはうまく行っていると思う。

写真SNSというものは、写真をアップすればするほど、それまでにアップした写真がタイムラインの向こうに追いやられて、誰にも見て貰えなくなってしまうジレンマがあって、そういうものだ、と割り切れるInstagram以外は最近それほど積極的にやっていないのだけども、3年前の写真がこうやって掘り起こされて、再び見て貰えるというのは、単純に驚きだし、素直に嬉しい。
そして自分自身も、かつてやっていたこと/出来ていたこと、今はやってないこと/やれていないことに気づかされて、大いに刺激になるなと、そんなことを感じた今日でした。


"The Lighthouse People" モデル募集します。



孤立感というものについて、皆さんはどのように考えますか?


写真を始めて数年のうちに、私の写真には孤立感、もしくは孤独というものを強く感じる、という評価を、写真を見た方々から頂くことが度々あって、自分の写真の特徴は、良くも悪くもそういう部分にあるのだということを学びました。

その特徴を巧くコントロールして、よい表現につなげるためにはどういう方法があるのか、ということについて、自分なりに取り組んでみたひとつの結果が、昨年開催した個展「The Lighthouse Man」でした。

それまで撮り続けてきた、所謂「ストリートフォト」とは全く違うことをしたかったこともあり、私はここで、孤立するもののモチーフとして「灯台」を取り上げ、灯台型の被り物を自作し自らをモデルにして、自分自身の「孤立感」を写真で表現してみました。



個展を終え、写真と共に展示していた灯台の被り物を箱にしまい、その後はまた全く別のテーマに取り組んでいたのですが、もう一度、灯台の被り物を箱から出して、今度は自分以外の人たちにそれを被ってもらい「灯台人間たち」の写真群を製作したいと思い至りました。ふと、このモチーフにはまだ、可能性を追求する余地があるように感じたのです。


誰しもが孤立感を抱えながら生きている。その形は、必ずしも皆、同じものではないはず。ひとりひとりの孤立感を「灯台」というモチーフを用いながら一枚一枚の写真に収める。そしてそれらをひとつの作品群としてまとめてみたら、どういうものになるのか、そこに興味を抱いています。


思うに、孤立感、イコール暗いとか寂しいということでもないはず。力強く立つ灯台だってある。


前置きが長くなりました。そういったわけで、灯台を被ってくれる方、モデルになってくれる方を、たくさん募集させて頂きます。



撮影場所は、前回の個展用の撮影時には「海縛り」を設けて、主に九十九里を中心として撮影していたのですが、今回はその制限をなくし、場所やシチュエーションについて、モデルになって頂けるひとりひとりの方と、アイデアを話し合って決めたいと考えています。キッチンに立つ灯台、ベランダから外を眺める灯台、私の中では既に色々なシチュエーションが浮かんでいます。


モデル料をお支払いすることは現状考えておりませんが、撮影した写真作品(プリント)は進呈させて頂きます。

撮影場所は、私の住む東京近郊で考えておりますが、強い希望がございましたら、出張撮影も検討させて頂きます。

また、撮影の期限は今のところ設けておりませんが、必要十分と思われる作品群がまとまったところで、写真集としてまとめられたら、と考えております。


少しでも興味を持たれましたら、ご連絡頂けると嬉しいです。どうぞ宜しくお願い致します。





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