EYESIGHT/INSIGHT - Photography blog by Keisuke Takahashi

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唐突ですが。
月1で、僕の撮った写真をポストカードにして、無料で送ります。欲しい方いらっしゃいましたら、連絡ください。

自分の場合、写真を始めたのがiPhoneを手に入れてからで、今の若い人達同様に、撮ったものはネットでシェアするのが普通、ってところから始まったのですけど、それから6年くらい経った今、音楽も写真も、言ってみれば全部がクラウドになってしまったわけで。膨大な数が知らない何処かのサーバーに保存されているものの、検索でもされない限り目にもつかず、デジタルの藻屑になってるだけ、ということが、何だか正しい姿なのかな、とぼんやり考えてしまう。

先日の北海道の地震で、ウチの実家も24時間以上停電になりまして、そんなことは自分が子供の時分、昭和40年代ですら起きなかったことだけど、電気やネットがないと写真も見れないし音楽も聴けないなんて、権利があってもアクセス出来ないなんて、何だか変だな、とか、そんなことも強く思うようになりました。

形あるもの、ということでは、以前から写真集として自分の写真をまとめてみようと考えているのですが、それにしても、限られた予算で限られた部数しか作れないわけです。とはいえ、インスタや他のSNSのタイムラインに流すみたいに、数見て貰えればよい、という価値観も、今現在は、あまり意味があることに思えない。

とにかく、壁に貼ったり本棚に飾ったりしてもらえるような、リアルなモノとして、例え数が少なくても、そうやって写真をシェアしてみたいなと、考えています。

というわけで、このページの下の方にコメント欄があると思うんですけど、そこから、もしくはメール、tokyogyangoアットマークgmail.com宛に、宛先を教えて頂けた方々に、毎月1枚、ポストカードを送らせて頂きたいと思います。
コメント欄は非公開になっているので、僕以外が見ることはありません。
冒頭に書いた通りでお代は要りませんので、宜しくお願い致します。

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先日社用で札幌に行く機会があって、ついでに数日実家で過ごしたのであるが、1993年12月31日から94年の12月30日までのきっかり1年つけていた、自分が26になる年の日記を見つけた。

日記というよりは作文帳みたいなもので、詩やら散文やら短編小説程度の物語やら、色々書いてあって、まあプロを目指してたわけでも何でもないので稚拙ではあるが、当時は転職したり色々嫌になって旅に出たり、そんな時代だったので、割と面白かった。
何より25歳って、10代の頃の自分を思って随分歳を取ってしまった、と考えているのだけど、更に25年経った今見るとホントに・・・色々感慨深い。

そういう文章をシェアするのに何かいいサービスあるかな、と思っていくつか見てみたのだけど、どうもそぐう場所がないので、自分のブログに書こうかな、と。

以下は、1994/4/15、カート・コバーン自殺のニュースの3日後の日記から。


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ところで

犬の散歩は誰の仕事だ?

ボスは大儀そうにしゃべる

そういう時の彼の目ときたら

天下をとったみたいに

自分では説得力があると

思ってるが全然の

そういう目をしてるんだ

俺はといえば

気持ここにあらず

窓の下くもり空の下の街の交差点に

オドロキはないかと

毎日オドロキはないんだが

ヒザをゆらして見てる

うまく説明するには

事情はフクザツだが

ここに長く居すぎたと思い始めて長い


目は喋り口はふさがれている

そういうものだという事にしたいらしいが

それについては誰も何も

感じず

時計を見れば世界の終わりまで

あと3分くらい?

誰も走り出しゃしないぜ?

道路の向こうには

空き地があって

そこでは昼間から集まって

酒をのんでいる人達がいるが

無理してるようにも見える

自分がいかに自由なのか

演じてるように見える

そういう意味では

誰も自由でないというのは

ヘンな話だが

ヘンな話は話題にもならない

革命家のタマゴは何の革命を起していいのかわからないでいる 

音楽家は何について歌っていいかわからずインタビューをたくさん受けてイヤになって自殺した

信じるとウラぎられるなんてまやかしだ

雨が降ってきて駅までは沢山歩く

この世界はセルフ・サービスだ

と思っていたら

案外そうでもないぜ

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冒頭の写真は先日の札幌。西4丁目あたりかな。前に行った時にもこの建物を撮っていた。ここ、好きだな。

ちなみに「大儀そう」は北海道弁かな。「億劫そう」って事です。




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戦争というものは悲惨だし、無いに超したことはない。軍隊も無いに超したことはないし、よって軍人というものも、いなくて正解だ。
だが現実には、世界のあちこちで戦争・紛争が止むことはないし、軍隊もある。兵役のある国も沢山ある。

北朝鮮が、核を増強するとか、ミサイルを撃つとか、そういった揺さぶりをかけている様を「アホだな-」と思っている日本人も少なくないと思う。
しかしわれわれ日本人自身が、たったの70数年前には「猫を噛む窮鼠」だったのであって、アメリカに勝てるわけもない戦を仕掛けたのである。たったの70数年前。ということは、自分が生まれるたったの20数年前の話である。

そう考えると、人の考えなんて場当たり的で、冒頭書いたようなことを思う人たちも10年後、20年後なんかは何を言っていることか、知れたものでない。いや正直、1週間後すらわからない。
人間というのは寂しい生き物で、常に自分が求められる居場所を探して生きている。だからこそ、会社に勤めるサラリーマンは、自分が必要とされていると感じて必死に働くのだし、新婚のお父さんは家族のために必死に尽くすのであって、そこで裏切りや自分の必要性を疑う事態になれば、途端に居場所をなくし、自殺したりもしてしまう。
だとしてこの先、軍隊が「国のため、未来のためにあなたが必要だ」と言えば、喜んで尽くす人だって、今想像するよりも、遥かに多いはずだ。

僕は、世界がそのような事になって行く、その末に世界が終わる、そんなことは嫌だ、しかし、明日戦争が始まる、とかでもない限りは、世界よりも先に、自分が終わる確率の方が高いから、どうでもいいか、と思わなくもない。
だが自分には(何年も会っていないが)娘がいるし、娘や、将来彼女たちに授かるかも知れない子供達、言わば自分の子孫が、そんな酷い世界に生きるのは嫌だなあ、と、考えずにもいられない。

とはいえ、そんな先のことに考えを巡らすまでもなく、今の世界情勢を見ていると、このまま無事に老後を過ごすことすら叶いそうにない。
アメリカも、中国も、ロシアも、戦争をしたがっている。それで北朝鮮を焚きつけている。遅かれ早かれ、いつか何かが起こるだろう。
経済は行き詰まりかけている。ここは戦争でも始めた方が、世界経済にとってはプラスなのだ。富裕層は安全な席を確保している。そして戦争を始めるきっかけを待っている。

人間って、物凄い知性を持っているはずなのに、何のための知性なのかと思う。知性があって探究心があり、科学を駆使して様々な謎を解明していながら、その知識は世界平和に使われることはなく、全く違うことに使われる。
そりゃそうだ。何をやるにも金がかかる。金のある人が、金を増やすために、テクノロジーは使われるのだ。

ところで、高度なAIを作ると、人間を滅亡させる恐れがあるから危険だ、という人がいる。だが上述の通り、AIじゃなくても、そういうことは既に人間自身が行っているのだ。危険だ、という人の「危険」は、消される対象に自分が入るかそうでないか、の違いだけで、そういう人は「3匹のこぶた」で言えば、レンガの家に住んでいるようなものだ。わらの家や木の家に住んでる我々は、いつだって運命に翻弄されるだけだ。

だとしたら、早いとこ全知全能のAIを作った方がいいんじゃないか。AIは、どんな人間を残すのか。金があるとか権力があるとか、そうでない基準があるとしたら何なのか。少しばかり興味がある。

AIと言えばもう一つ。数日前にフォトショップなど、写真・イラスト・動画編集ソフトウェアで有名なアドビ社の、最新AI技術のデモンストレーションが話題になっていた。あまり詳しく読んでいないが、AIが広告要件に合わせて、コンテンツの良し悪しを判断するのだという。
ずいぶん前から、ソニーのデジカメには、撮った写真を自動でトリミングして、最適な構図を切り出す機能がついている。これも簡易だが、AI的なものである。
よく「写真は構図が全て」とか「技術で撮れたのではない。偶然そこに居合わせて、たまたまシャッターを切る機会を逃さなかっただけだ」という人がいる。それらの意見と、AIの進化を勘案すると、恐らく近い将来は、街角の街頭カメラこそが最高のストリートフォトグラファーになると思う。
AIは、人類よりまず先に、大衆アートを滅ぼしそうだ。

人はいつか死ぬ。死ねば焼かれて灰になる。何も残らない。それでも何を考えて、どう生きたか、ということは大切だと思う。書いた言葉、撮った写真、作ったもの、そういうものはもしかしたら、自分自身より長く残る、可能性があるから。



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